LANTIA DELTA HF INTEGRALE

Tour de Corse 1992 - D.Auriol / B.Occelli

ランチア・デルタHFインテグラーレ(スーパーデルタ)1992年ツール・ド・コルス仕様
使用キット:ランチア・スーパーデルタ1992年メイクスチャンピオン(ハセガワ)
2000年12月頃完成

<デルタHFインテグラーレ>
91年までにメイクス5連覇を達成したランチアがタイトル防衛のため、92年の開幕戦に投入したのがこのマシンです。モンテカルロラリーでD.オリオールの手によりデビューウィンを飾ると、その後もライバルであったセリカST185を寄せ付けず年間8勝を挙げメイクスタイトル6連覇に成功しています。ランチアは91年限りでワークス活動を休止し、この年はジョリークラブにマルティニのスポンサーごと委譲しての参戦でしたが十分な競争力を維持していました。しかし、メイクスタイトルを決めた秋以降開発が止まったこともあり、ドライバーズタイトルはトヨタのC.サインツに奪われてしまいました。93年に入るとC.サインツが加入し、レプソルがメインスポンサーとなったものの、活動の規模はさらに縮小され、以後デルタが勝利を収めることはありませんでした。そして、93年限りでランチアはWRCから完全に撤退してしまい、この車がランチア最後のワークスカーとなりました。
<1992年ツール・ド・コルス>
D.オリオールのデルタに対抗できそうなのはC.サインツのセリカST185とF.デルクールのフォード・シエラRSコスワース4×4くらいだったが、サインツはセリカの熟成不足とピレリタイヤの性能不足で全く優勝争いに加われず、デルクールのシエラもマシントラブルから2位確保に回ったため、終わってみればオリオールが全23SS中18ステージでベストタイムをマークする圧倒的強さでコルシカ4勝目を飾りました。
当時、ツール・ド・コルスといえばオリオールでした。88年にシエラRSコスワースでWRC初勝利を挙げると、89・90・92年はランチアで、94・95年はトヨタで勝利を挙げ88年から95年の8年間にコルシカ6勝という大記録を打ち立てました。勝てなかった91年と93年も2位には入っていて、この時期コルシカでは最強の存在でした。
この年、オリオールは開幕戦のモンテカルロで優勝すると、コルシカ、アクロポリス、アルゼンチン、1000湖、オーストラリアと勝ちまくりWRC年間最多勝記録となる6勝を達成しています。しかし、シーズン終盤のサンレモ、カタロニアで躓き、最終戦RACでもトラブルでリタイヤしてしまい、トヨタのC.サインツに逆転でタイトルを奪われてしまいました。
92年、オリオールが記録した年間6勝はWRC年間最多勝記録であり、未だに彼の記録を破る者は現れていません(2005年にS.ローブが年間10勝して記録更新)。この年の彼は現在のようにシリーズ全戦に出場したわけではありませんでした。とはいえこの年の規定ではドライバーは10戦まで出場してよく、その内ベスト9戦のポイントが有効というものだったので全戦に出場する事はできなかったのですが…。そう考えると驚異的な記録といえます。ただし当時はそれほど多くのライバルがいたわけではなかったのですが…。それにもかかわらずドライバーズタイトルを逃したのは皮肉としか言いようがありませんが…。その後、彼は94年にトヨタでチャンピオンを獲得して雪辱を果たしました。結局、92年のチャンピオンはサインツが獲得したのですが、彼はこの年を最後にチャンピオンになっていません。サインツが90年と92年の2回しかタイトルを獲得していないのも意外に思えます。
<工作と塗装>
一番のポイントは車高を下げてターマック仕様っぽくしたところだね。このキット、何故かコルシカ仕様なのに車高が高くグラベル用のままなので。一応、ダンパーの部分を切り詰めて、サスペンションの取りつけ角度を変更しているんだけど、どうも左右で均等な高さになって無いみたいでちょっと傾いちゃっててトホホな感じが…。それ以外にはマッドフラップをリアだけに丸めて取りつけています。それ以外は特に変更はしていません。なので再現性はあまり高くないかも。まあ、元のキットがロードバージョンの流用みたいだから仕方ないけどねぇ…。あと、シャシーなんか16Vからの流用だしね。アンテナはM&Aミニチュアズのものを使用しています。このキット、16Vに比べるとモールドが浅めなので、彫り直すことをオススメします。塗装については特に変わったことはしてなくて基本的に説明書の指定色のままです。ホワイトはグレーサーフェイサー→ベースホワイト→ホワイト→スーパークリアーといった感じで塗ってます。ブラックはつや消しではなくてセミグロスブラックを使用。一番苦労したのはフロントグリル。あんな細いラインどうやって塗り分けろというのか?と思った。あの赤のところが…。でっ、最初にレッド(タミヤカラーのブライトレッドを使用)を吹いてグリルのあたりをマスキングしてブラックを吹いて、シルバーと網の部分の黒を筆塗りしました。
Gr.Aデルタの一連のシリーズは数々の勝利とメイクスタイトル6連覇&4つのドライバーズタイトルを獲得しています。Gr.Aにおいて2リッター4WDターボこそが全てということを確立したのもこのデルタで、Gr.A以降、現在のWRカーにいたるまでのトップクラスのラリーカーの姿を決定付けました。デルタはGr.A初期においては無敵の存在だったと言えるでしょう。しかしトヨタ・セリカGT-FOURやミツビシ・ギャランVR-4などが登場してくると状況は変わりました。なかでもトヨタとの死闘は凄まじいものでした。お互いに膨大な予算を使い、世界各地で威信をかけて戦いました。特にランチアはありとあらゆる手段を使いメイクスタイトル防衛を果たしました。しかし、それも長くは続かずデルタの後継車を立てられなかったこともあり、91年限りでワークス活動を休止しています。その後、ジョリークラブが活動を引き継ぎ92年こそタイトルを防衛したが、93年になると開発も行われず、もはや勝ち目はありませんでした。それ以後、ランチアはラリー活動を行なっていません…。

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