MITSUBISHI GALANT VR-4

RALLY COTE D'IVOIRE -1991 - K.Shinozuka / J.Meadows

ミツビシ・ギャランVR-4(1991年アイボリーコーストラリー仕様)
使用キット:ハセガワ・三菱ギャランVR-4“1991アイボリーコーストラリー”
2002年1月頃完成

1991年のアイボリーコーストラリーで篠塚健次郎が日本人ドライバーとしてWRC初優勝を達成した時のギャランVR−4です。この年のアイボリーコーストはドライバーズタイトルのみが掛けられていたので、ワークスチームの参加は1台も無し。そんな中で三菱ワークスの支援を受けセミワークス的な体制で参戦したタスカ・エンジニアリングの純日本製ギャランは篠塚のドライブで初日からトップに立ち、その後は完全の独走状態でWRC初優勝を達成しました。また、翌92年も同じ体制で臨み同ラリー2連覇を達成しています。
このギャランVR−4、デビューは1988年のRACラリーでしたが、このときはラリー開始直前まで車が組み立て終わらないという状態で、完全な準備不足だったようでA.バタネンがドライブしたもののあえなくリタイアという結果に終わっています。この当時、ミツビシは限定的な参戦ながら、このギャランで1989年の1000湖でM.エリクソン、RACラリーではP.アイリッカラが優勝。1991年にはスウェディッシュをK.エリクソンが制するなど活躍をみせました。当時、ランチア・デルタの独壇場であったWRCでデルタに対抗するための最低限の条件(2リッター、4WDターボ)を備えたマシンといえました。
このギャラン、日本のタスカ・エンジニアリングで造られたものでラリーカーとしては稀な右ハンドル仕様車です。さらにアイボリーコースト仕様なのでサファリ仕様と同じくらい重装備です。アイボリーコーストラリーはかつてサファリと並ぶアフリカン耐久ラリーとして知られる存在でした。その過酷なコンディションはサファリ以上とも言われるもので、ゴールまで辿りついたラリーカーの台数が10台以下ということもざらでした。また、ある年はゴールまで1台もたどり着けなかったことがあるという凄いラリーでした。そんなアイボリーコーストも近代化の進むWRCにおいては生き残ることができず、1992年の大会をもってWRCから消滅しています。
<工作について>特に改造は無しです。けがき針でモールドは彫り直しています。この時期のハセガワのキットはどうもその辺がイマイチなので…。それ以外ではアンテナをさかつう製のものに変更。キット付属のものは再現度が低いので。他はほぼ説明書通りに組み立てました。とにかく丁寧にヤスリ掛けをしてパーティングラインを処理してモールドを彫り直すことを心掛けました。エッチングパーツの加工と接着には気を使いました。
<塗装について>全く説明書の通りです。ボディの塗装はサーフェイサー→ベースホワイト→ホワイトと塗ってマスキングしてインディブルーを塗り、仕上げに半光沢クリアーをエアブラシで吹きました。注意すべき点としてはブルーの部分とホワイトの境目の位置ですね。デカールの位置と上手く合わせないとグリーンのデカールの下からブルーの部分が透けてしまい色がそこの部分だけ色が変わってしまうので気をつけましょう。あとフロントバンパーに付いているフラップ(ステップ?)のような部分の色間違っています。本当はタイヤのところとかに付いているヤツと同じ色のハズです。
このギャランを造るにあたってどのラリーの仕様にすべきか考え、確かこの車で篠塚健次郎がWRC勝利を記録しているハズだから篠塚さんのドライブした仕様にしようと思い、探したところ、1992年のサファリ仕様というのを見つけたのでそれを造ろうかと思っていたのですが、その後、このアイボリーコースト仕様を発見したのでどうせなら優勝した時のヤツのほうがいいだろうと思いこれを造りました。このキット自体はスポット生産品でどうやら絶版になっているようなので、入手は困難なようです。実は私も某模型店の中古コーナーにたまたま置いてあるのを発見しただけです。ちょうど欲しいと思っていた時期に見つけられたのは非常にラッキーでした。

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