Rally Monte Carlo 1985 - A.Vatanen/T.Harryman

プジョー205T16(1985年モンテカルロラリー仕様)
使用キット:タミヤ・プジョー205ターボ16ワークスラリーカー  
2000年3月頃完成  

<プジョー205ターボ16>
ラリーに4WDを持ちこみ最強を誇ったアウディの時代を終わらせたのが、このプジョー205t16です。デビュー戦は84年のツール・ド・コルスでした。そのときはA.バタネンの手によりトップを快走したもののクラッシュによりリタイアしています。しかし、その3ヶ月後の1000湖ラリーではバタネンは2位に2分の大差をつけてこの車の初勝利を記録しています。さらにサンレモ、RACラリーと連勝しています。翌85年、プジョーは開幕戦のモンテカルロ、第2戦スウェディッシュではバタネンが優勝。ポルトガル、アクロポリス、ニュージーランド、アルゼンチン、1000湖ではT.サロネンが優勝し、メイクスタイトルとドライバーズ(T.サロネン)のダブルタイトルを獲得しました。この車とクワトロとの差はミッドシップ4WDターボであること(クワトロはフロントエンジン車)とセンターデフの存在でしょう。この205T16は当時、時代の最先端をいった車でありました。
この車は間違い無く最強のGr.Bカーと言っていいでしょう。市販の205に似たイメージを残してはいるものの全く別の車となっています。205の外観を持たせたのはあくまで市販車の宣伝の為でした。アウディ・クワトロは市販車をベースにしており似通ったところも多かったのですが、この車は全く逆で専用のレーシングカー的な造りとなっていて、あらゆる点で妥協を排した造りとなっています。サスペンションにはレーシングカーのようなダブルウイッシュボーン方式が採用されています。エンジンはミッドシップに搭載され、重量物のほとんどをホイールベースの内側に収めることに成功していて重量配分も良く、クワトロと比べると非常に優れたハンドリングを誇っていました。この205ターボ16が活躍したのはわずか2年半ほどでしたが、人々に強烈な印象を与えました。この車をラリー史上最強と呼ぶ人も多いです。
84年の終盤を3連勝で締めくくったA.バタネンと205t16の勢いは85年のモンテカルロでも衰えませんでした。このラリーでバタネンはコースアウトして観客をはねたり、コ・ドライバーのミスで8分ものペナルティを受けながらも、アウディのW・ロールを逆転し見事な勝利を飾っています。
さらにバタネンは次のスウェディッシュでも勝利し前年から5連勝を達成してチャンピオン間違い無しと思われましたが、アルゼンチンでの大クラッシュにより瀕死の重傷を負いシーズンを棒に振ってしまいました。しかし、その後を受け継ぐかのようにT.サロネンが優勝を重ねドライバーズチャンピオンを獲得しています。85年のプジョーは圧倒的な強さでシーズンを席巻し優勝できなかったラリーのほうが少なかったくらいでした。
<工作について>
特に語るところがないというのが正直なところで、説明書通りに造っただけです。まったく手を加えていません。ボンネット上のダクト(?)の合わせ目消しくらいですかね。古いキットの割には非常によく出来ていると思います。ただ、デカールの色はあまり良くないと思いました。アンテナくらい変えれば良かった?
<塗装について>
これも基本的に説明書どうりです。ボディはホワイトサーフェイサー→ホワイト→半光沢クリアーと吹いています。やっぱりきれいなホワイトを出すにはグレーから立ち上げていったほうがいいとは思います。あと、アンダートレイ等の指定色はフレンチブルーですが、デカールのブルーと合っていない気がするので、出来る人は合わせた色を作ることをオススメいたします。

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